大阪大学 接合科学研究所

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大阪大学 接合科学研究所

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Interview

→ 上田幸雄先生(溶接工学研究所 第7代所長 名誉教授)

→ 牛尾誠夫先生(接合科学研究所 第9代所長 名誉教授)

→ 片山聖二先生(接合科学研究所 第12代所長 名誉教授)

→ 南二三吉先生(接合科学研究所 第14代所長 名誉教授)

→ 小溝裕一先生(接合科学研究所 名誉教授)

→ 篠﨑賢二先生(広島大学名誉教授、呉工業高等専門学校名誉教授)

→ 上山智之氏(大阪大学接合科学研究所同窓会初代会長/ダイヘン常務執行役員技術開発本部長)

→ 藤本光生氏(川崎重工業技術開発本部 プロセスエンジニアリングセンター 副センター長 理事)

→ 三上欣希教授・門井浩太准教授(接合科学研究所 教員)


中田一博先生
(接合科学研究所 第11代所長 名誉教授)

新旧所長対談/中田一博先生
(接合科学研究所 第11代所長 名誉教授)

田中(現所長)

中田先生との出会いは、私が牛尾誠夫先生の助手になった時ですが、その頃に中田先生が学位を取得されて助教授になられ、それを機に1988年設置の高エネルギー溶射研究センターの運営,そして改組に向けて同センターを任されました。

中田

そうでした。その後1996年に再帰循環システム研究センターを担当することになるわけです。

先を見据えた研究センターの設立へ尽力

田中

今、カーボンニュートラル実現に向けて大きな変革が求められている時代において、次に当研究所が行う研究テーマとしては『究極のリサイクル』があります。接合だけに留まらず、分離を含めた接合・分離統合技術の創成を今後の大きな研究の柱にしたいと考えています。再帰循環システム研究センターではリサイクルを意識した研究を行っていましたが。              

中田

そうです、最初からリサイクルを意識したセンターを創ったわけです。

田中

それはどのような発想から出てきたものなのですか。

               

中田

溶射センターと超高エネルギー密度熱源センターの2研究センターの統合だけでなく新たなセンター創設の必要性があったのですが,その当時はリサイクルとかリユースなど環境問題全般について関心が持たれていました。その流れで故松縄朗先生が音頭を取って研究センターを創設することになりました。当時は環境問題を溶接でどう解決していくのかという議論はなく、一つのポイントとして挙げられるのは溶射センターでPETボトルの原料である樹脂材料の溶射や環境を意識した光触媒皮膜などの研究を行っており、その流れで環境問題解決に寄与するセンターを設置しておけば,今後の研究所の一つの目玉になるのではという考えがありました。まずセンターが先導して新規分野を開拓し、そこを切り口にして研究所全体に研究の間口が広がっていくのではとの考えがあったわけです。

田中

再帰循環システム研究センターとは斬新でした。カーボンニュートラルのこれからの時代に対して先見の明があったわけですね。

中田

センターができた後,牛尾誠夫先生から研究室へ戻るよう言われた際に、ちょうど良い機会だから海外へ行ってみたいと申し上げました。結果、1997年に半年間、オハイオ州立大学へ在外研究員として赴任することができました。オハイオ州立大学には溶接工学科とEWI(エジソン溶接研究所)があり、接合研と将来的にタイアップできる可能性のある大学でしたので同校を選んだわけです。そこでリポールド教授の紹介でセキュリティの厳しいEWIでも研究することができましたし,また現地のホンダなど幾つかの日系企業とのお付き合いもさせて頂き,良い経験でした。振り返りますと、赴任期間はわずか半年でしたが非常に内容の濃い半年でした。

田中

先生が帰国された時に、そのようなお話をされていたことを思い出しました。さて、次に、中田先生が溶接に関わることになったきっかけについてお聞かせください。

学生時代の電子ビーム溶接研究

中田

大学受験で志望校を選択する際に調べたところ、大阪大学には日本で唯一の溶接工学科があるということ,また当時は高度経済成長期にあり,溶接はこれから大事な技術になるであろうということと,電子ビーム溶接の研究で荒田吉明先生が新聞等で取り上げられていましたので、入学したら電子ビーム溶接を勉強したいという希望がありました。ですから入学後に研究室を選ぶ時には迷わず荒田研を希望しました。

田中

中田先生は1968年に大阪大学に入学され、翌年に工学部に溶接工学研究施設ができました。

中田

その時に電子ビームで学位を取得された松田福久先生が旧科学技術庁所管の金属材料技術研究所から仙田研の助教授として着任されました。私は荒田研で電子ビーム溶接を研究したいと考えていたのですが、それは松田先生のテーマだったのです。そこから私の研究がだんだんとズレていきました(笑)。当時、富江通雄先生の電子ビーム、宮本勇先生のレーザが荒田研の研究テーマで、いずれも熱源開発がメインでした。一方で松田先生は材料がテーマでしたので、私はその担当になりました。大学4年生の時に最初に研究したテーマは、さまざまな鋼の電子ビーム溶接を行い、その焼き入れ硬化性を調べることでした。材質によって違いますが、電子ビーム溶接では溶接条件(冷却速度)によっても硬さが違うはず、それを考慮して硬さの予測式を創ることはできないかということでした。当時はとにかくさまざまな鋼種を片っ端から電子ビーム溶接して硬さを測定することを行いました。最終的には鋼材成分と冷却速度から重回帰式を求め、硬さを予測することに取り組み、結果、荒田先生に気に入っていただき、その後に大学院修士課程に行くように勧められたわけです。学部から大学院に進んだ時はちょうど溶接工学研究所で現在の平屋建ての実験棟の建物ができた頃でした。その時に与えられたテーマは電子ビーム溶接で非晶質金属を作ることでした。

田中

アモルファス金属ですか。

中田

アモルファス金属は溶けた金属を超急冷凝固して作られるわけですが、電子ビーム溶接も冷却速度が速いので、突き詰めるとアモルファス合金ができてもいいのではというのが荒田先生の考え方でした。その頃は東北大学の井上明久先生が研究されていたのですが、アメリカでも著名な先生がアモルファス金属の存在に関する論文を発表されており、それを電子ビーム溶接でできないかというのが私の修士のテーマでした。高速で電子ビーム溶接を行い、その金属組織を調べましたが、今考えると無茶なことをしていたなと思い起こされます(笑)。

田中

その後に博士課程に進まれたわけですが。

中田

松田先生も教授に就任され、松田研に残ったわけですが、その時にアルミの溶接割れなどの研究を手がけて、以後の非鉄金属材料の溶接研究の流れができたわけです。

田中

中田先生が博士課程に居られる頃は牛尾先生は助教授だったのでしょうか。

中田

そうだったと記憶しています。牛尾先生は当時から大物で、超高温エネルギー密度熱源センターでは収まりきらず、そこを出て松田研に移られました。そこでご専門であった核融合プラズマの最先端の解析技術を大気中の溶接アークプラズマに応用する研究を行われたのですが、牛尾先生の研究によってこれまで大阪大学で伝統的に研究されてきた溶接アーク現象のプラズマに関する研究結果が大幅なみ直しを迫られ、いわばこれまでの常識が覆されるようなことが起ったわけです。もちろんそれは大阪大学だけではなく、世界中の溶接界でプラズマを研究している人たちの研究にも大きな影響を与えました。そういう意味ではそれぞれの専門の学術分野の本当のプロフェッショナルが溶接・接合のようなものづくりに直結した研究分野に加わるということはとても大事なことなのです。

接合研の役割と使命とは

中田

接合科学研究所の役割は大きく、範囲が広い。一つには溶接・接合をいかに学問体系化するかということがあります。これは絶対に必要なことです。私が所長を務めていた時代は、文部科学省も経済産業省も大学本部も、溶接について良いイメージを持っておらず、溶接が大学の研究課題にできるのかという感じでした。そこで、所長時代に総長以下の本部役員や文部科学省の役人らにFSWや高出力レーザの溶接を実際に目の前で見ていただきました。そうすると最先端の溶接技術というのは町工場で行われていることとは違っているということを理解して頂くことができたのです。それから、基礎的な学問体系的な面においては、溶接は材料、物理、機械、電気、電子、情報、非破壊など幾つもの基礎的な学問分野が集まって一つの学問体系を構成しておりますが、逆に溶接研究者はそれぞれの専門分野へ出て行っても勝負できるような人材が求められるのです。例えですが、溶接研究の中で通用しているアーク物理の研究者や材料学の研究者はその分野だけで満足していてはいけません。外の世界へ出ていって勝負できるというような二刀流でなければならない。「接合科学」というのはベーシックなところから応用的なところまですべてを網羅しており、世の中の役に立っている学問であると言えます。そういう気概を持って若い人にも常々励んでほしいですね。

田中

私も同じ意識です。今,接合研ではそういう意味でそれぞれの分野で活躍できる人材を迎えており、彼らはそれぞれ違った学術界で戦えます。一方で、接合科学の学問体系を構成し、溶接・接合分野で活躍できる人材を選んでいます。

中田

やはり接合に対する思い入れがある人で、しっかりとやってくれる人材が必要でしょう。

田中

軸足を溶接・接合の研究に置いている人材ですね。

中田

例えば、FSWのような固相接合の現象では、機械工学を専門としている研究者にとっては固相の塑性流動現象は興味深いでしょうし、溶接の対流現象など数値シミュレーションを研究している研究者にとってもそう感じられるでしょう。そういう面白い複雑系なテーマを研究しているという切り口で世の中に接合研をアピールしていく、所長としてうまく世の中に接合科学をアピールしていくことが必要です。もう一つは研究拠点としての面からですが、接合科学というのは通常の基礎的な学問体系の中では相容れないもので、一時期、消えていく学問体系、絶滅危惧種などとも呼ばれました。しかしながら研究拠点としては日本に最低でも一つは必要だということで接合研は残っています。ただし、かろうじて生き残っているというのではなく、積極的に残している、発展させるために残しているとポジティブな意味での存在感を発揮するようにしていく必要があります。そのためには対外的には国の施策に則ったテーマ設定をし、それに対して各研究者が得意分野で関わっていくということが必要です。例えば、今は水素利用に関心が高まっていますが、接合研にとってはそれが追い風となっています。水素プラントの製造は極低温の材料を用いて溶接しますし、その際の水素ぜい化の問題に関しては、高張力鋼の溶接の研究で既に経験しています。水素プラントの製造には溶接が必ず必要となりますが、それを推進しているのは接合研にとって関係の深い企業です。そこに材料、力学、シミュレーションを研究している人たちが一緒になって取り組んでいけばいいわけです。国の施策に自分達の得意分野を活かして関わっていくということが大事です。

田中

今お話をうかがって、先生の所長時代を思い出しました。当時は確かに学問の絶滅危惧種という言葉が流行っていて、その中には「鋳造」、「溶接」が入っており、それに対して先生は溶接を絶滅危惧種として保存するのではなく、溶接・接合科学を世界的に発展させるのだという意気込みで所長の任に就いておられました。その中で国プロの案件を積極的に立ち上げていました。

中田

国プロに関わると、国が認めているということになりますから、それで溶接・接合研究の旗が振れるわけです。国が支援し,プロジェクトをつくってくれたということは非常に大きい意義を持ちます。そのプロジェクトを実現するには産業界を引き込まなければならず、逆に国に対しても産業界の支援があるということをアピールすることも非常に意義の大きいことです。

田中

また、先生が次世代に残していただいた大きな足跡としては国際連携ということがあります。アジアの溶接研究所構想ですね。これも溶接・接合を発展させる施策の一つとして掲げられました。それが文部科学省「広域アジアものづくり技術・人材高度化拠点形成事業」に発展し、その中でカップリング・インターンシップ(CIS)を9年間にわたって実施することに至りました。国からも非常に高い評価をしていただき,もちろん学内でも高い評価を得ました。文系と理系の融合、海外との融合、それから日系企業を巻き込むという非常に斬新なアイデアでした。来年1月にはベトナム溶接研究所が設立しますが、その源流は中田先生のアジア溶接研究所構想になります。また当時は、アジア各国の著名大学にJWRIオフィスを置いて、私もさまざまな大学へ行かせていただき、知見と経験を積んできました。

研究テーマ選定へのアドバイス

中田

そういう意味では、国際情勢がいかに変化しようとも、いったん構築した海外との交流のルートは細くはなっても維持していくべきでしょう。それは私も所長時代に若手の研究者達によく伝えてきたことです。つまり、いったん始めた研究は途中で切ってはいけない。その時に芽が出なくても10年後あるいは20年後に芽が出る可能性が大いにあるからです。なぜなら、技術というのは螺旋形に発展していくため、同じところで同じテーマで研究していると、10年ほどで研究のレベルは上がってきますし、またその波が戻ってくるのです。技術を継続して取り組んでいくと、10年後にまたその波が戻ってきた時、果たしてそれに乗れるかどうかが大事になってきます。まさに今は水素の溶接が波として来ています。30年前に水素ぜい化について研究していた研究者にとっては、別の意味での水素の取扱い技術のニーズが来ています。その波を逃したらいけません。産業界からも溶接は重要であることをアピールしてもらい、大きなプロジェクトを立ち上げていくことです。成功した事例をいくつか挙げて、若い研究者に示していかねばなりません。また、研究を開始する時には、そのテーマに対しそれなりの思いを持って始めるのですが、途中で芽が出なくても、学問的な思いというものは継続的に大事にしていって欲しいですね。

田中

大変よく分かります。ただ、あるテーマで研究を始めるに当たって、最初の掴みが下手な人もいいます。そのような研究者にテーマ設定に関するアドバイスをお願いします。

中田

私は一つに、科研費の申請書の出来いかんによるのではないかと思います。私が所長に就任した時に、接合研は科研費の申請では大学本部での評価が低かった。そこで私自身がすべての科研費の申請書に目を通しました。その中で申請書としての体裁を成しておらず最初から難しいというものもあり、内容についても何をやりたいのかということがまったく見えてこないケースもありました。そういう申請書を提出した人たちを面接し、何をしたいのか確認し、『そういうテーマの研究をしたければ、このような切り口で考えれば良いのでは』とアドバイスした結果、科研費の採択数が急激に上がってきました。

田中

たしかに科研費の申請書を基礎にアドバイスしてあげると、本人にとっては分かりやすいですね。

研究設備のオンリーワン,ナンバーワンに

田中

また、中田先生が所長に就かれていた時に私が強く印象に残っている思い出としては、先生がよくおっしゃっていた言葉に“研究設備のオンリーワン,ナンバーワン”ということがありました。私は今でもその言葉を使っています。実際に先生はオンリーワン・ナンバーワンの設備として「高輝度X線透過型溶接現象4次元可視化システム」を導入されました。今日でも当研究所の目玉となっている装置です。

中田

あのシステムの導入は大きな冒険でした。大学予算を使っての導入ですから、その申請時には学内の全理事の前でヒアリングを受けるのですが、その時には生半可なことを言っても申請は通りません。ですから、このシステムが当研究所に導入されたなら、世界でも接合研にしか無い設備になるということを宣言しました。

田中

さらに,接合科学共同利用・共同研究拠点としても認定されました。

中田

今は接合研での企業との共同研究は多くの成果が上がってきていますね。企業との連携は接合研の大きな特徴の一つでしょう。

田中

協働研究所をつくっていただいた企業の方からは、溶接・接合の研究ではやはり接合研でしょう、と言っていただいています。さて,溶接工学研究所から接合科学研究所と名称を変更する際には、研究所内でさまざまな議論がありましたが、私は『接合科学研究所』となって非常によかったと思っています。当研究所では『接合』の研究に関しては各個人が秀でてきます。その秀でたところを束ねて『接合科学』として成り立っています。それによって他には無いオンリーワンの研究所となれるのだと考えています。今、研究所内で学内でも良い風が吹いています。一時は絶滅危惧種と言われていましたが(笑)、『接合科学』はキラリと光って、新しい今の時代にマッチしているのではないでしょうか。

中田

文科省に対して接合研について紹介する際には、『溶接工学から接合科学へ』という説明をしたのですが、「溶接というのは金属を溶かして付ける昔からある技術だけれども、接合というのは様々な方法や意味が込められている。エンジニアリングからサイエンスに変わってきている」。溶接工学から接合科学へということをこのように説明すると文科省の方達も納得しますね。そういう意味では、今、世の中では3D積層造形の研究についての取り組みが増えてきていますが、ある企業から純銅製部品の3D積層造形での割れについての相談を受けました。造形された部位をみると溶接割れが起こっているんです。酸素が絡むと割れが起こるのですが,そのことは銅の溶接を研究している者にとっては知っていて当然のことです。彼らは早速調べてみますと言って、それに関する論文を見つけてきました。それはドイツの金属に関係する研究所から発表されたもので、純銅の3D積層造形の割れの原因についての論文でした。やはりドイツだなと思いましたが、接合研もそうでなければなりません。

田中

接合研でもこの4月からスマートプロセス研究センターを改組し、「多次元造形研究センター」を設置しました。思うに3D金属積層造形は溶融・凝固・冷却のプロセスであって、いわば多層盛溶接ではないでしょうか。

中田

そうです。サイズが小さくなっただけで解析上では多層盛溶接プロセスです。一昔まえの3D積層造形は焼結法でした。材料を溶かさずに焼結してHIP加工を行ってモノを造り上げるという発想でした。今はそうではなく、完全に材料を溶かして造るマイクロ多層盛溶接です。だから残留応力の問題などが絡んでくるわけです。力学や材料学を研究している人たちにとっては面白く感じられるでしょう。

田中

プロセスとしてレーザと電子ビームを熱源として用いるのも面白いでしょうし、アークでも造形することができます。

中田

3D積層造形に限っては世界の進展からは若干遅れましたけれど、接合研は基本的な知識は持っているので、ぜひがんばって欲しいところです。一気に逆転できる実力を持ってるはずです。

田中

さて、接合研の若手の研究者へ対するメッセージをいただきたいのですが。                

接合研究の拠り所に

中田

中田・やはり、専門性を持つこと。大学で研究者として続けていくには専門性をもつことです。ただし、それに安住してもいけない。専門性をベースにして接合科学に食い込んでいって欲しい。また、せひ若いうちに海外経験をすべきです。チャンスがあればチャレンジして欲しいですね。いずれにしても、接合研としては溶接・接合に関係する大学の研究者に対して、民間や公的研究機関の研究者に対しても、接合科学研究所という研究所が大阪大学に在るということをアピールし、溶接・接合研究の拠り所として在り続けることが大事です。世の中の状勢がどのように変わっても、溶接・接合研究の拠点であるという気概を持ち続けて欲しいですね。

田中

溶接・接合の研究を維持するだけでなく、今後さらに発展させていくことが私たちの使命であると考えています。本日は有り難うございました。