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Interview

  

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南二三吉先生(接合科学研究所 第14代所長 名誉教授)に聞く

長年、溶接強度や破壊靭性などの研究に携わってこられた接合科学研究所第14代目所長の南二三吉先生は、特に溶接・接合構造化や供用適性評価の分野において標準化・規格化に注力されてきました。また所長時代には「技術・知識・経験・人がつながれば、ものづくりの夢は広がる」との信念から、接合研内に多面的な産学共同活動の拠点として協働研究所を立ち上げられました。今回,工学研究科の中森雄大さんが南先生に、これまでの研究者人生や所長時代の思い出、後進らへの期待についてお話をうかがいました。

大阪大学工学部に入学後、溶接研究を志したきっかけや、ご指導を受けた先生とのエピソードを教えてください。研究者生活を振り返って。

 私はもともと建築デザインを志望していましたが、縁あって溶接工学の道に進みました。実際に携わってみると、溶接・接合分野は非常に奥が深く面白いものだと実感し、1980年に大阪大学工学部溶接工学科の助手となってから溶接研究者としての人生がスタートしました。
 溶接強度力学の権威である豊田政男先生のご指導のもとで研究をはじめた私ですが、豊田先生はよく「溶接部は非常に大きな要」と言い、「如何に素晴らしい素材が開発されても、それをつなぐ溶接部の品質が確保されなければ、良い構造物は生まれない。ただ、残念ながら溶接部は力学的にも冶金的にも素材と同じ特性になることは難しい。言い換えれば、その不均質の特性を上手く活かすことができなければ、母材(素材)を活かすことはできない」とおっしゃられていました。
 例えば、1970年代、企業では80㌔級高張力鋼板を用いた水圧鉄管の現地溶接施工法について研究がなされていました。溶接設計では、母材とイーブンマッチ、あるいは幾分オーバーマッチが原則ですが,高張力鋼板では溶接部の低温割れを防止するために予熱処理が必要です。しかし,それでは水圧鉄管の現地溶接(鉄管内面の溶接施工)に適さない。そこで、豊田先生は塑性拘束を受ける場合の継手強度の解析など溶接強度力学的な観点から研究を重ね、「アンダーマッチ」理論を実用化され、施工性を大いに高められたのです。
 このような豊田先生の薫陶を受けた私は、鋼材料溶接部の破壊靭性の評価に取り組み、最も弱い要素の破損が強度を決定するという最弱リンク説を溶接部に適用する研究に着手しました。

専門分野である溶接強度力学や破壊靭性など、先生の研究の取り組みの中で印象に残る出来事を教えてください。

 1980年後半から1990年代初頭に、極地向けの高強度鋼として溶接性に優れたTMCP鋼が開発され、海洋構造物への適用が本格化し始めましたが、多層溶接熱影響部での局所的靭性劣化部(LBZ)の存在が問題視されるようになりました。破壊発生の支配組織や破壊限界CTODとLBZ寸法・試験片板厚の関係、き裂導入位置の影響、LBZフリー技術など様々な破壊研究が盛んとなる中、私たちが世界に先駆けて取り組んできた不安定破壊に及ぼす強度的不均質や試験片形状・寸法による塑性拘束の影響などの研究成果が評価を得て、のちにIIW第Ⅹ委員会WG提案の鋼多層溶接部破壊靭性試験ガイドラインや日本溶接協会規格(WES)に反映されました。
 一方、1989年に西ドイツ(当時)のカールスルーエ原子力研究所に客員研究員として赴く機会を得た私は、ワイブル応力を破壊駆動力とするローカルアプローチについて研究しました。そこでの基礎研究が我が国発・世界初の鉄鋼材料破壊評価国際規格ISO 27306の誕生につながっています。同時に多くの知人・友人と親交を深めたことが非常に良い経験であり、大きな財産となっています。当時,同研究所にはドイツをはじめ、世界各国から多くの研究者が集まり互いに切磋琢磨していましたが、ディスカッションが白熱してくると、最後にはドイツ語ではなく英語でのやり取りになるのです。互いの意見や考え方を正確に伝聞するには、癖のない英語の方がコミュニケーションし易かったのでしょうね。この時のフランクなディスカッションで会話力が身についたと感謝しています。
 私の研究者人生を振り返ると、溶接強度や破壊靭性などの研究を通して、溶接・接合構造化評価やFFS(供用適性)評価といった分野での標準化・規格化に少しでもお役に立てたのではないか、と自負しています。

接合科学研究所所長時代を振り返って。

 私が14代目所長に就いたのは2017年4月です。歴代所長の方々とは少し経歴が異なり、1980年に大阪大学大学院工学研究科溶接工学専攻博士前期課程を修了後、助手、助教授、教授時代を通して、大阪大学工学研究科に約35年間在籍してきました。当研究所のメンバーとなったのは2014年8月で、翌年、副所長を拝命しました。
 同じ大学・同じ工学系ですが、研究所と学科ではやはり役割が多少異なります。ご存知のように、学科は教育を主眼に置き、研究所は研究が主目的となります。特に接合研の場合、溶接・接合という専門分野に特化した研究だけでなく、文部科学省より『接合科学共同利用・共同研究拠点』として認定されているので、国内外の大学・研究機関・企業などから多くの研究者・研究員らを受け入れ、溶接・接合に関する基礎研究から応用研究はもちろん、産学連携や国際共同研究などを推進し、その研究成果を国内外に広く発信していかなければなりません。
 また当研究所が有する国際ネットワークを活用し、広域アジア地域の日系企業と連携したカップリング・インターシップや、学部の垣根を超えた複合的なカップリングを実践するなど、世界に通じる研究人材の育成にも注力しています。さらに国際溶接技術者(IWE)の教育機関としての役目も担っています。まさに溶接・接合分野の世界研究拠点として誇れる存在です。
 このような多種多様な取り組みに、僅か30数名規模の教職員らで対応している訳ですから、本当に頭の下がる思いです。改めて、田中所長をはじめ、スタッフの方々の高いスキルと熱意、そして、それらが結集した総合力が接合研の強みであり、原動力だと確信しています。この良き伝統・強みをこれからも発展的に継承していってもらいたいと願っています。
 所長に就いた頃,相前後して溶接学会会長(2016年)やIIW理事、IIW第Ⅹ委員会委員長など、様々な要職を拝命し、私自身、非常に多忙な時期だったと記憶しています。特に接合研の所長は,組織を正しい方向に導き運営していくことはもちろん、接合研だけでなく大阪大学全体のことを考えていかなければなりません。私は接合研の成長発展が大阪大学、さらには日本のものづくり、世界のものづくりに貢献するのだという気持ちで職務にあたってきました。多くの方々に支えていただいたお蔭で職務を全うすることができ、大変感謝しています。同時に、人との『つながり』の大切さを実感いたしました。
 私は「ものをつなぐ技術はものづくりを制する」-----それを学術面から支えるのが学術研究機関の役割だと思っています。技術・知識・経験・人がつながれば、ものづくりの夢は広がると信じており、そういう観点から所長時代、企業の研究組織を接合研内に誘致し、多面的な産学共同活動を展開する拠点として協働研究所をスタートさせました。企業と大学が共通の場で相互に研究の情報・技術・人材・設備を利用して、研究成果の産業への活用促進、研究高度化、双方の高度人材育成を目指すこの取り組みは、様々な企業の理解を得、今も接合研の中核事業の一つとして継続されています。

最後に、現在の接合研や工学部をはじめとした大学の研究者に対するエールや、今後に期待することとは。

 養老猛氏が著書『バカの壁』で述べられているように、自分自身で勝手に壁(限界値)を作っては駄目だということです。特に若い研究者の方々は、例え違う分野であったとしても、決して物怖じすることなくどんどん前向きに取り組んでいただきたいと思います。これから先、いろんなオファーや依頼事が舞い込んでくると思います。様々な理由を口実にそれを断るのは容易いことですが、その判断が自らのチャンスの芽を摘んでしまうということも念頭に置かなければなりません。むしろ、「ポテンシャルがあるからこそ,オファーが来るのだ」というくらいの自信を持ち,新しい分野にもチャレンジしていただきたいと思います。当然、基本となるベーシックな学問をしっかりと学び身につけることが重要で、それが備わっているからこそ、新しい概念・発想が生まれるのです。
 溶接・接合は非常に奥の深い分野です。解っているようでいて、実はまだまだ解明されていない領域が多々あります。溶接・接合をキーワードに、これからも日本の技術力が活かせる研究を追求してください。大いに期待しています。