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Interview

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篠﨑賢二先生(広島大学名誉教授、呉工業高等専門学校名誉教授)
に聞く

 

1976年,大阪大学工学部溶接工学科を卒業。大学4年次より溶接工学研究所(=溶研,現・接合科学研究所)に進み、溶接研究者としての道を歩んでこられた篠﨑賢二氏。1994年からは広島大学に移り、助教授・教授を歴任し、また2019年から呉工業高等専門学校校長として、数多くの研究成果と次代を担う後進らを育ててこられました。溶接割れ研究分野の第一人者として多くの実績を持たれるだけでなく、溶接冶金分野以外にも、レーザ溶接や液相拡散接合などプロセス開発などにも従事されてきました。「多くの人と出会い、多大な影響を与えていただいた」という篠﨑氏に、今回,門下生の1人である接合科学研究所の門井浩太准教授が研究者人生や溶研時代の思い出、後進らへの期待についてうかがいました。

篠﨑先生が研究者を志したきかっけと、溶接工学に進んだ理由は?

 高校生の時、大型タンカーをテレビで見て、「大型船づくりに携わってみたい」という憧れから大学を選考しました。当時、大学で造船関係を学べる場は、東京大学をはじめ、大阪大学や大阪府立大学、九州大学、広島大学など限られていました。その中で、大阪大学の造船工学科を第1志望とし、溶接工学科は第2志望でした。正直、溶接にはあまり興味はありませんでしたが、父親が「溶接工学科は大阪大学にしかない」と勧めたこともあって、入学を決めました。でも当時は大学紛争の時代。入学後もほとんど授業がなく、溶接工学科の学生という意識も希薄でした。ただ、3年生の時の松田福久先生の講義は、とても丁寧でわかり易く、少しずつ面白いと感じ、特に金属材料と金属系に興味を持つようになりました。今にして思えば、学生にとって先生の講義は、人生をも左右する、とても大切なものだと実感します。私の場合、松田先生との出会いが研究者人生を歩むきっかけとなったのです。4年生の時、研究に専念できる『研究所』という環境と、松田先生という存在で、迷うことなく溶接工学研究所を選び、松田研究室を志望しました。これが私の溶接研究のスタートです。当時、松田先生は助教授として第6部門(松田研究室)を立ち上げたばかりでしたが、そこには、助手として牛尾誠夫先生と中川博二先生、また中田一博・片山聖二両先生がドクター、そして原田章二さん、尾形誠司郎さん、綾仁立さんら錚々たるメンバーがいて、私にとって非常に恵まれた環境でした。皆さんには本当にお世話になりました。

影響を受けた方とは。

 私は大変多くの方々から影響を受けています。恩師の松田先生はもちろん、いつも叱咤激励してくださった牛尾先生、研究が面白くなるきっかけを与えてくださった中川先生。そして、助手として採用いただき、研究に専念させていただいた中尾嘉邦先生も大恩人の1人です。中尾先生には研究に対する緻密さということを教えていただきました。

その中尾研究室にいた1987年、カナダ・トロント大学に留学されていますね。後年、多くの溶接関係者が留学したTom North先生の下で学ばれた最初の日本人研究者とお聞きしていますが。

 一度は海外を経験したいと考えていた時に松田先生を介して留学の話がありました。新しい研究室を立ち上げたNorth先生は日本人のポスドクを探していたようで、私に白羽の矢が立ったのです。初めてNorth先生にお会いした時、「何もご期待に添える成果を出せないかも?」と恐縮すると、「まったく気にすることはない。Prof、松田の紹介だから信頼しているよ」と微笑んでくれたのです。とても気が楽になりました。トロント大学では、二相ステンレス鋼溶接金属の低温割れに関する研究に従事し、AWS(米国溶接学会)から論文賞もいただきました。少しだけ恩返しができたように思いますが、留学期間の1年はあっという間でした。North先生はお話が上手で、日本の文化や歴史にも造詣が深く、また諸外国の情勢など、研究分野以外でもよくディスカッションしました。最初の頃、家族共々ご自宅にホームステイさせていただいていたので、大学への行き帰りは一緒。彼は列車の中で、いつも研究に対するスケジュール立てや論文を作成し、またノートに思いついたアイデアや進め方、問題点などをメモし、それを一つずつ棒線で消していくのが習慣でした。研究者としての取り組み姿勢や生活スタイルを垣間見た気がします。特に多くの欧米の溶接研究のキーマンをご紹介いただき、ディスカッションを深めることができたことは、私にとってかけがえのない経験であり、財産と感謝しています。その後、1994年に広島大学に移り、黒木英憲教授の下で助教授として冶金系の溶接研究に従事しました。「好きな研究を存分にやってください。ただ一つだけ、研究を通じて広島大学を大いに宣伝してほしい」と言う黒木先生には、部下の意見を尊重することの大切さと包容力を学びました。このほか、矢島浩教授や深谷保博教授、そして山本元道先生(現広島大学教授)や門井先生ら若い研究者や学生たちからも大いに刺激と影響を受けてきました。多くの方々と出会い、研究者としての幅が広がったと感謝しています。

さて、先生は溶接割れ研究を専門とされていますが、溶接冶金分野以外にも、レーザ溶接や液相拡散接合、ホットワイヤなどのプロセス開発など、研究分野は多岐に亘っておられますね。

 発生機構やその防止対策や発生予測など、溶接割れ研究に携わり40年以上となります。“割れ”は、割れるか・割れないか、と現象がはっきりしており、しかも割れない材料・プロセスを開発するという目的もはっきりしています。そういう意味では、私の性分に合っていたのでしょうね。松田研でアルミ合金の凝固割れや超高張力鋼の低温割れ、中尾研では耐熱材料の割れについて研究してきました。また液相拡散(TLP)接合やろう付、摩擦圧接など、接合メカニズム・プロセスの研究にも注力しました。広島大学ではレーザ溶接のほか、液化割れのシミュレーションにも携わり、特に高速度ビデオカメラを導入し接合現象や溶融現象が見えるようになったことが大きいですね。企業との共同研究にも積極的に取り組み、ホットワイヤプロセスとレーザ溶接のハイブリッド化など様々な知見を得ることができました。共同研究を行う上で①溶接欠陥予測技術の開発②高能率・高性能接合継手開発③表面改質・補修技術開発-----を基本方針とし、それに合致する企業と研究を進めてきました。

接合科学研究所と広島大学の溶接研究に対する違いはあるのでしょうか?

 接合研は、溶接・接合に関する材料・プロセス・評価,国際的なネットワークというそれぞれの専門分野で優秀な研究者、スタッフが揃い、高い専門性と深耕できる素晴らしい環境を有しています。一方、広島大学は機械システム工学のジャンルの1つとして溶接があり、スタッフも限られています。ただ溶接・接合を必要とする産業・企業がたくさんあり、研究テーマも無数にあります。企業との距離感が近く、研究者が現場を知るという意味においても大きなメリットです。地場産業・企業の期待に応えるという役割も担っています。どちらが良い、とか言うのではなく、今置かれている環境の中で、最大限のベストを尽くすことが研究者の使命です。先ほど、門井先生が「研究分野が多岐に亘っている」と言われましたが、こういう背景があるからでしょうね。

接合研時代の思い出と、期待することは?

 私が携わった頃は黎明期であり、所帯も小さかった。でも先生方や学生らは本当に溶接研究に情熱を注ぎ、活気に満ちていました。研究だけでなく、何事にも本気で、しかも和気藹々とした雰囲気が魅力でした。他の研究室とも交流があり、仲間を育むことができました。50周年を迎えた接合研ですが、その雰囲気や文化が継承されていることを大変嬉しく思います。同時に、接合科学共同利用・共同研究拠点である接合研は「溶接・接合研究のシンボル」という重要な役割を担っています。これからも時代の変化を先取りし、研究の方向性、成果を世界に向けて発信し続けてください。そして関わる全ての人は、その役割を理解し、責任と自負をもって、自身の信じる研究分野を邁進してください。

最後に、後進へのエール、メッセージをお願いします。

 どんな研究も日々の積み重ねです。しっかりと足元を見つめ、地道に研究活動に取り組んでいただきたい。新しいツールや技術が生まれると、これまで見えなかったものも見えるようになります。次代を担う若い研究者の皆さんは、これまで当たり前と思っていたことを、もう一度見直し検証してください。ものづくりに不可欠な溶接・接合技術はこらからも必要であり、研究テーマは枯渇しません。「果たしてこれで十分なのか?これが正解なのだろうか?」と常に自問自答しながら、自身の研究テーマと真摯に向き合う姿勢とセンスに期待しています。