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Interview

  

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牛尾 誠夫 先生(接合科学研究所 第9代所長 名誉教授)に聞く

 接合科学研究所第9代所長を務められた牛尾誠夫名誉教授に、本研究所の大学院生 飯田健太さんから研究者人生のあゆみや所長時代の思い出、また今後、後進らの進むべき方向性などについてお話をうかがいました。

先生が溶接アーク物理現象の研究を始められたきっかけはどのようなことですか。

もともと私は核融合の基礎研究をしようと、工学系の大学院でプラズマ物理学を学びました。当時、プラズマ物理学は勃興期で、具体的な例としてはアークがありました。そのアークを上手く利活用しているのが溶接だったのです。必然的に溶接・接合に興味を抱くようになりました。当時、超高温理工学研究施設で助手をしていたのですが、縁あって、1974年に溶接工学研究所(現接合科学研究所)に移り、当研究所と関わるようになりました。当時、研究所の助教授だった松田福久先生からの「溶接は面白いよ」という助言もきっかけの一つです。それと、今から考えると、電子工学科時代の同級生や先輩らに「牛尾君、これから溶接を研究するの?」と驚きの目で見られたことが、とても腹立たしく「なにくそ!」という想いが沸き立ったことも覚えています。それだけ、当時の溶接・冶金は華やかな研究ではなく、だからこそ、「それなら溶接を専門家としてとことん追求し、学問として確立しよう」と奮い立たせてくれたのも事実です。

そういう反骨精神的なものが研究の原動力になったのですね。

 決してそれだけではありません。それよりも「溶接」あるいは「アーク物理現象」に興味を持ったことが大きいですね。電子工学科時代の恩師・石村勉先生の持論は「物理理論の基本は電磁気学である」でしたが、私はそれをアーク物理現象に求めたのです。研究者生活を振り返ると、興味あるもの、研究に没頭できるものに出会えたこと、並びに尊敬できる恩師や先輩、知人・友人など私を支えてくださった多くの方々や、発想や考え方の異なる方々と巡り合えたことが私の研究者生活を充実させてくれました。感謝しています。 とにかく、当時から研究所には個性豊かな先生方が多く、それぞれの先生が信念と情熱をもって自らの研究に取り組んでおられました。それが上手くハーモニーしながら、互いを切磋琢磨してきたことが接合科学研究所の発展に大きく貢献しているのです。またそれが強みであり、そのDNAが今なお引き継がれていると確信しています。

そのような土壌の中で、先生は数々の研究成果を生み出してこられたわけですね。

 溶接に携わるようになり古い文献を幾度も読み解く中、特に熱輸送現象の解析に興味を持ち研究に取り組みました。それが私の溶接研究の原点です。他方、炭酸ガスアーク溶接についても、1970年代後半、当時まだ日本で数台しか導入されていなかったトランジスタ式直流溶接電源TR-800を研究所に導入してもらい、様々な研究に適用しました。TR-800はアーク溶接の基礎的な研究開発を促進し、アーク溶接プロセス技術の進展に大きく貢献したと自負しています。中でもパルス電流波形制御による炭酸ガスアーク溶接の低スパッタ化技術の開発は、世界的にも高く評価していただきました。さらに溶接の自動化にも精力的に取り組んできました。究極的に言えば、溶接の自動化は全てアーク現象に起因します。その研究に邁進していくことで、環境に優しく耐久性に優れたタングステン電極材料の開発や、アークセンサによる溶接プロセスの自動化技術の開発にもつながったのです。 溶接は決して難しいことではなく、そのプロセスは溶融・攪拌・凝固の繰り返しです。しかし、それをきちんと学問的に解明しようとすると、なかなか奥が深く面白いものです。ご存知のように、溶接現象はエネルギーと材料の相互作用、その結果生じる材料変化と欠陥の発生、残留応力、ひずみの発生にいたる極めて多数の因子が複雑に絡み合ったものです。言い換えれば、単純なプロセスの中に複雑な構造を含むがゆえに、素朴な疑問、身近な不思議がいっぱい存在しています。私自身、常に工業的に応用することを視野に入れつつも、現象の根底をなす素過程、あるいは支配要因について徹底して学理的考察を加えなければならない、という研究スタイルに徹してきました。そういう意味で、私にとって溶接は科学的探究心をくすぐる、何かがあったのですね。大宇宙をテーマに研究するのも一つですが、毎日使っているものでも分からないものがたくさんあり、身近な不思議は無限にあります。そういうものの中から学問になるものを抽出し、大系づけていくことが研究者の使命だと確信しています。何事にも興味を持つからこそ、いろんなテーマが見えてくるのではないでしょうか。              

2000年から接合科学研究所第9代所長に就任されましたが、当時の思い出は。

 1972年に全国共同利用の「溶接工学研究所」として新設され、96年には改組を行い、名称を「接合科学研究所」に変更しました。当研究所にとっても大きな変革期でした。ただ私の所長時代よりも上田幸雄先生(7代所長)らの時代の方が、今後、当研究所をどう導いてくのか、世界に冠たる溶接研究のセンター・オブ・エクセレンス(COE)になるためにはどうすべきか、などという難しい問題に直面し、夜遅くまで喧々諤々の討論を重ね、礎を築いていただきました。そういう先輩方の努力のお蔭で歴史が築かれていったのです。所長時代の2002年に創立30周年を迎え、記念式典で私は「わが国製造技術は極めて高いレベルにあるが、高い水準を維持し、新しい展開を図るためには基礎研究の成果と、それに伴う絶え間ない技術革新が必要。当研究所の存在理由もそこにある。だからこそ、これからもものづくりの基盤技術たる接合およびその関連技術に智する多様な要求に応じるべく先端的、基礎的研究を行っていく」と挨拶しましたが、その理念や考え方、方向性は20年経った今なお田中学所長はじめ、先生方や職員の方々に引き継がれ、世界からも常に注目される、溶接研究のCOEになっていることを誇りに感じ、嬉しく思います。またこの式典には当時の国際溶接学会(IIW)のB・ペッカリー会長も出席いただき、「当研究所は溶接の基礎研究から、関連する接合分野を幅広く研究する非常にユニークな組織。牛尾所長をはじめとする研究者の発表する論文は素晴らしく、才能ある研究人員と先端設備とが揃った当研究所の研究成果は、日本国内に留まらず、世界的研究の場への貢献度は非常に高い」というメッセージをいただきました。これこそが我々が若い頃から目指し、理想としてきた研究所像であり、これからも変わらぬ方向性だと確信しています。例えば、世界溶接研究所長会議の企画・運営に奔走するなど、若い頃から様々な溶接研究を通じ、ペッカリー氏をはじめ世界各国の多くの方々と親交を深め、友人関係を築けたことは、何物にも代えがたい宝だと感謝しています。また2003年には,それまでの超高エネルギー密度熱源センターと再帰循環システム研究センターを統合再編し、スマートプロセス研究センターを新設、わが国ものづくりの基盤力を高める研究に注力したことも思い出の一つです。

当時、牛尾先生はIIW副会長の要職にあり、2004年IIW年次大会の日本誘致にも大変ご尽力されたとお聞きしています。

 もう18年前になりますか。思い返せば、大変多くの方々の理解と協力を得て実現できましたが、世界各国から多くの研究者らを招くホスト国として準備段階から苦労も多かったですね。しかし、私どもの本拠地・大阪で開催されるということで喜びもひとしおでした。いみじくも、今年、接合科学研究所が50周年という節目を迎え、飯田くんのような将来のある若い研究者からインタビューを受ける機会を得たこと、そして今年7月、東京で再びIIW年次大会が開催されることに、何か運命めいたものを感じています。

ありがとうございます。最後に、私たち後進へのアドバイスをお願いします。

とにかく、徹底的に勉強してください。その努力は決して損するものではありません。私は助教授時代に米国・マサチューセッツ工科大学に留学する機会を得ましたが、そこで故セッカリー教授から「若い人は未知の問題にも真剣にタックルしなさい」と教えられました。その言葉を信条に研究者生活を送ってきたと言っても過言ではありません。興味あることを見出し、一生懸命がむしゃらにタックルしてください。若者の最大の魅力はパワーであり、突進力です。そこに経験・知見というものが積まれ、初めて成果が生まれるのです。決して焦ることはありません。世の中には、自分より優れた人間は必ず存在するものです。そういう人を見つけ、それよりも少しだけ上回る努力を忘れないでください。50周年を迎えた接合科学研究所には優秀な頭脳が集まっているのですから、自信と謙虚さを合わせ持ち、これからもどんどん研究につき進んでください。大いに期待しています。